自制心と自尊心

こんばんは

箆が爆発してしまい大変後悔している私です

 

 爆発すると後悔をします

またやってしまった また他人から蔑んだ目で見られる などと思ってしまいます(実際そう見られてるかは確認してないので妄想なのですが、自分はそうだと思ってます)

そうすると自尊心がどんどん下がり、自己嫌悪を蓄積します

溜まった自己嫌悪が自制心を凌駕し、また爆発します

爆発すると後悔します→以下ループ

 

こうなるとどうしようもありません

どうにかこうにか発言を食い止め興味をそらし時間での解決を待ちます

こうして爆発を延期させますが、所詮は延期です

 

安定に入っても知らぬ間に自尊心を削る思考が起動します

安定時には防衛意識が働いていないので、自制をする隙などありません

気付いたら爆発してます

そして上のループが発動します

それを幾度となく繰り返してきたので、自尊心など本当に全然ないです

 

自分はできることが多くあると自分で思います

色々な事に興味を持ち、色々考え、色々実行してきてきます

"何でもできる"が深層心理での自分の目標なのでしょう

しかし、やることが分散する事によって、それぞれの練度は低くなります

 

それぞれの事柄で自分よりできる人を見て、自分はまだまだ無力だと感じてしまいます

下と比べることはあまりしません

"自分ができる事は他の人もできて当然"という思考が根底に揺るがずあります

現実的に考えるとそんな事はないとは思いますが、その思考だけは常に消える事がありません

 

"自分はあの人より出来ていない 劣っている"それは当然の話です

自分が他の事をしている中でも出来ている人は一つの事に対して経験を積んでるのですから

逆に言えばその人より劣っている分他の事が出来るようになっている訳です

そんな事を言っても、出来る事より出来ない事にしかフォーカスしません

できる事はもう出来てしまうのですから

 

そもそも、何かに特化してない人材はとても扱いにくいのです

それを分かっているのに万能欲が消せません

興味と飽きのローテョンが早いのです

極める前に飽き、次の興味の美味しいところだけ食べ、また飽きたら次

好奇心が旺盛なのも良し悪しですね

 

こうして"何でもできるは何もできない"の自分が出来上がるのです

"何もできない"と自分を自分が思ってるので自分を愛せません

自分が愛せない自分を他の人が愛せる訳ないと思うのは当然の流れですね

愛されたいけど愛されない

満たされない心で誰も愛さない自分を自分でいじめて、自分を嫌いになって、自分の悪い部分を表に晒し、晒してしまった罪悪感で自分を嫌いになり、グルグルと落ちていきます

 

自分は決して愛されてないわけではない事は知っています

自分の事を好きだと言ってくれる人も応援してくれる人も見守ってくれる人も話しかけてくれる人も沢山います

それは分かってるんです

自己嫌悪に陥っても励ましてくれる、とてもありがたい人が居ます

それでもダメなんです

多分自分が欲しいものではないんです

ワガママでしょうか きっとワガママです

 

自分は褒められてもまともに受け取れません

上で書いた通り"上には上がいるのに自分が褒められる筋合いはない 出来て当然"と考えてしまいます

でも褒めて欲しい事を褒められたら、きっと嘘でも嬉しくなります

褒めて欲しい人に褒められたら、きっと何でも嬉しくなります

要はワガママという言葉で片付いてしまうのでしょう

 

前にも麺が箆る事について書きましたが、その時の答えもまたワガママで片付いてしまうと思います

我慢ができずに自傷する

自制心が足らずに自尊心を減らす

自分はワガママ小僧って事ですね

 

ここで自分をワガママ小僧という結論を出し、さらに自尊心を削っている事に自分は気付けました

しかしどうしようもありません

今の自分には自分自身を擁護できる事柄も、自分を擁護する気も無いのですから

欲しい時に欲しいものが欲しい それ以外は受け取らない

これをワガママと言わず何と言うのでしょう

自分は欲しています

自分が欲しいものを

それが仮に、得ることができないものだったとしたら

自分が助かる事って、できるんですかね