相対正義理論

こんばんは。

おもしろい話をツイッターに書いてもスルーされて悲しくなるので、ここに話をまとめて書くことにします。

 

"正義は常に相対的"と昔から言ってました。

悪として対してる物にも味方は居て、そこからしたら悪は正義になり得るって事です。

別に目新しい話ではないです。

相対正義理論って語呂がいいなって思ったりしてます。

 

主観的に悪をぶちのめすのは、ある点から見た時とても正しい行いに見えます。

しかし視点を変えればそれは悪にもなります。

あなたが味方だと思ってる人はどちらの視点から見てるでしょうか。

 

べつにどう見られてもぶちのめしたいって事はあると思うので、それ自体をどうこうって言いたい訳ではないです。

ようは自分と混じり合えない人々が必ず存在するって事です。

全世界の全人類と仲良くなる事は無理ってことですね。

学校のクラス内ですらわかり合えない人が居るんですから当然ですね。

そしてそういう人たちもここの正義の元行動を起こします。

 

そんなまじり合わない人たちと関わるのはとてももったいない事ですね。

おっぱい好きにおしりの良さを強要しても、

おしり好きにおっぱいの良さを強要しても、

きっと分かり合えることはないでしょう。

それであれば、おっぱい好きはおっぱい好きと、

おしり好きはおしり好きと話した方がみんな幸せですね。

おっぱいおしりで合わなくても、もしかしたら貧乳巨乳で分かり合えるかもしれないですね。

貧乳巨乳で分かり合える相手に、分かり合えないおっぱいおしりの話をするのはただの無駄ですね。

 

それでも、どうしても「この人におっはいの良さを伝えたい」と願うのであれば、自分のリソースを惜しみなく全力で注ぐ必要があるでしょう。

底なしにリソースを注げば、もしかしたら良さを理解してもらえるかもしれませんね。

そして使った物と得た物を天秤にかけるわけですね。

それは意味のあることだったのかと。

 

そんなことを思いながらツイッターを見てると、色々考えさせられるなーって。

賢い人を見習いたい。